昭和45年8月11日 朝の御理解
御神訓 天が下に他人ということは、なきものぞ。
であるから、どういうことであらなければならないかという事ですね。天が下に他人ということはなきものぞ。だから、どうあらなければならないか、ね。お互い、親身なものを出し合って、中に押して行く、ねばならぬという事だと思うですね。その前に、『人の身が大事か、わが身が大事か、人もわが身もみな人』という御神訓がございます。『人の身が大事か、わが身が大事か、人もわが身もみな人』だと。
わが身をつねって人の身の痛さを知れなんていう諺もあります。本当に、自分の身にひっきょうして思う。そこに自ずと親身なものが生まれてくる。本当に他人とは思われないというような不思議なものが出来て、え~、そういう事を、もう願うての事だと思いますね、御教えであると。
これは、まぁこれの、まぁ根本の根本というか、本当の事はもっと深いですね。天が下に他人ということはなきものという事は、もうこれは、天地の親神様がご覧になっての事である。え~、人がみな神の氏子としての見方。いわば、人種差別とか、みんなが天地の親神様の氏子であれば、みんなが、いわゆる同胞やはり、いわゆる兄弟であるというような見方をして行きますと、もう少しそれは大きな意味合いになりますけれども。一番私共の日常生活の上に心がけなければならない事、ね。ですから、それを例えば、親身の事としてお互いが親切をし合う、仲良うして行くというところに、私共は願いをおいておかなければならない。
昨日、馬渡という所ですね、秋永先生のお里です。秋永さんちいうて、おばあさんがお参りをしてみえます。息子さんたちが万博に参りましてね、こっちから自動車で参ります。それで、おばあさん、ちょっと子供達一人一人のあの、親子三人、それに隣村の人を一人加えて四人でした。それがその、万博に参りましたらね、あちらでその、連れを失うてしもうてですね、その親子三人だけは( ? )という事で、その隣村から行っとった人は( ? )。とうとう一日がかりで、その、まぁ見ながら探すけど、帰るまで、まぁ今日まで、まだ分からん。まだ、むこうは帰って来なさらんち、でその願いに見えられたんですけれどもね。
そして、そのぉ、それが、神様にお願いをするとしとらんちゃもう、ホントこげん違うもんでしょうかち言うてから、今日言わされますもん。どういう事ですかち言うたら、自分げん息子達と、息子とその孫たちの事だけお願いしてから、連れん人の事ばお願いしとらじゃったで私が、おばあさん言いことですよね。こりゃぁもう私が一番の手落ちじゃったと言うて、その、その事をお詫びされますんですよね。それでその、自分げん息子だけじゃない、え~、それに連れに一緒に行かれる方も、え~怪我過ちのないように、連れはぐれんごとやっぱお願いしとかにゃいかじゃったという訳なんです。なら子供達の遠足とか、あぁ旅行とかいう時に、どうぞ家の息子だけが無事に帰ってきますようすにといったお願いなさる方がありますよね。けどもだんだん信心がわかって参りますと、もうその団体全部がです、無事に楽しゅう旅行が出来ますようにというように、( ? )お願いをなさる方もあります。
まぁそれはそれとしてです、お願いをして行くという事がこんなにも違うもんでしょうかというて言われるのに、いよいよ、とうとうその人、それが自動車がそこの、品物、道具でん何~でんその方は自動車の中に入れてあるそうですたい。もういよいよ、向こうは困っとなさろうちいうとこですね。
そして、もういよいよ日が暮れた。ところが現在の大阪で宿につこうと思うたけれども、どこも宿なんか満員でないちいうんですね。もう途方にくれて、あの困っておるところに、ちょうど牛乳配達さんが通りかかったから、その方に、尋ねた。そしたら、僕の知ったあのぉ、宿屋がありますから電話をかけてあげましょうと、言う、したら幸いそこに一部屋あった。なかなか大阪という所はなんだから、僕が送ってあげましょうち言うちからずいぶん遠い所を、その人が送ってくれた。
もうそれはもう~、大阪の人たちは本当に冷たい、もぉ~それこそ、もうちょいと冷たい人達ばっかりと、まぁずいぶんあっちこっち尋ねてからそう思ったけども、その牛乳配達さんだけはです、もうどうしてあげな親切な人に巡り会うたじゃろうかち言うて帰ってきましたけんで、私が申しましたっち、その人が神様ばのっち、私がちゃぁんとお願いしとったけんで、そげな人にあんたどんが巡り会うたつよち言うて、申しまして、もうお礼やらお詫びやらその、なさいます。
そういう中にですね、私共のその考え方というか、その、一つの願いといったような事にでも、本当に他人というものは無きものぞという、というような、その根本的なそのぉ、本当な事が分かっておらなければならないなという事を感じますですね。
これもやっぱり昨日でしたが、これも、これもと久留米におられました方なんですがね、もう大変な、そげなこつが本当にあるじゃろうかと思うようなですね、まぁ不幸な事にあっておられる。え~佐田さんのお導きだったでしょうかねえ、(金高?)さんていうて、いう方なんです。まぁ不思議な縁でですね、ここに物売りにみえましたのが一番始め縁のでした。そしてもう、熱心に勧められて、もうどうしても断りが出来んもんですから、なら親先生に言うちください。これは私にこんこんと、あの、説得してからそれからまあ帰るという、何かそういう外交をしておられます。で、ここで私待っておりましたから、また私の話も聞かれてからです。今度、私の話を聞く事になって、御信心になられたという不思議なケースの方なんですね。
その方がね、だいたいそのぉ、ご主人の里、鹿児島なんですけれども、うん~そのぉ、ご主人になる、お母さんになる人がですね、えぇその、ここに参ってみえますその人よりも、もっと良い嫁ごを見つけたからち言うちから、もう、別、嫁ごさんばもろうちゃった。もう子供さんが二人もある、高校に行かっしゃるごたる子供、ね。それで、あの、それじゃけん別れちくれち主人が言いなさるそうですけれども、本当、寝耳に水、夢のようなお話です、ね。けども実際、もうそのぉ、結婚、そして新婚旅行は万博ちごたあふうに、そこまで決まっとるち事になったもんですから、自分は身を久留米に引かれて、そして、えぇおられる所へ、夏休みで子供さん達が2~3日前から訪ねてきとる。その二人の子供を連れて、昨日そのお参りなったんです。
本当に、別りゃぁ他人という事を申しますが、まぁ今日あたりの御理解から言いますとですね、本当に結婚、赤の他人が結婚すりゃあ、あそこの夫婦という縁が、いわゆる他人じゃないという事になる。けれども、別れりゃ他人ということ、ね。けども、ここんところにです、いわば、あぁ、まぁどうにもできないその、何と言うですかね、人間関係の難しさというものを、まぁ感じますけれど。その方が、昨日お届けをされて、えぇ、そしてこれはまた、お礼を言われるのに、「先生、私がこのような今途方に、路頭に迷うというか、困った事になってまいりましてもですね、神様がそれとは反対にです、今度は今までかつてなかったような、親身なお世話をして下さる方があって、現在頂いておる久留米で働いておるのは、今まで働かして頂いた所より一段素晴らしい所に、給料もよい、また親切ようして頂くというところに、そのおかげを頂いて、なら例えば子供達二人が頼ってきてもです、困るという事もないほどしのおかげを頂いておるだけではなくて、先日から大阪の弟から手紙がまいりました」という、わけでございます。
その弟さんとお母さんも、やはり久留米につい最近までおられました。その子供さんというのが子供の時にですね、あのぉ、火傷を親の不注意で、そのぉお豆腐屋さんをしておられた時分に、何か熱い物を頭からかけてですね、もう~頭のこの髪の毛が生えずに、もうその事の為にもう僻んで僻んでもう、親も兄弟も手がつけられないぐらいに僻んで、そのために本人は死ぬる事まで何回も考えたというような深刻な人なんです。それでその、弟さんが今度、こちらの方が駄目だというので、大阪の方へ職を求めていった所がですね、ダンプカーに乗られるんです。ところがそのダンプカーがひっくり返ってですね、一人はもう死んだ状態。もうその弟さんは、あのぉ、何かの下敷きになってから、手をここで三本そのぉ、ぶっちゃげしもうてから切りとってしまえれるような結果になって、もうそれは悲しい悲しい手紙がこの頃から来た。
もうとにかく大阪の者はね、大阪の者はとにかく、さっき話したように冷たい。やっぱり久留米はええけん、久留米に帰りたいと言うて来ておりましたが、その、ちょうど子供さん達が来る前の日に来た手紙を見ますとね、あのぉ、今あんなに言うて来とった、それからお姉ちゃん達の場合、別れるとか別れないとかって話もあるが、子供達は、子供達、自分が、俺が見てやろうというような手紙で、え~もう、そういう中にですね、何かその時にお金が30万入った。ところがそこで、その家がなかったもんですからね、まぁ義理のある、まぁ所へまず、かっておられたけれども、すごく困っておったら、あちら家を借るのも30万円のちょうど敷金がいるという所に、( ? )したおかげで30万いった、そのとりあえず家を借りた。そしてそこでですね、本当にもうそれこそ親身も及ばぬというような人が現われてですね、自分の会社に世話をしようというて、まぁ自動車の運転手のその、ダンプカーに乗れるほどしの人ですから、その大変な大きななんか工場で、その工場の中だけをこう、走り回っとれば良いというような大きな会社です。
そういう所に、して給料もこれこれ、もう今までそれこそ頂いた事もない、たくさんな給料頂くようになり、もう親も喜び、自分も帰る言いよったけれども、大阪ではさっそく、ねその、姉さん達のどうなったか、子供達はこんな訳だから、訪ねてくれば自分が見てやろうちいうようなその事を、まぁ悲しい手紙から次には、そういう嬉しい手紙が来たというてですね。それで神様っちゃぁ、神様はもう本当にこの世の中には見捨てる神があるかと思うと、助ける神があるという事が本当ですというて、昨日は言われるんですね。御信心を頂いとる、こういうところに行き詰まっても、こういういわば行き詰まらんで済む道が開けるだけではない、その、例えば本当に頼ろうとは思いませんけれども、今までの弟だったらもうとにかく何の頼りもならない弟が、そのようにいわば、後ろにおって力強い事言うてくれるという事だけでも有り難いと言うておられる。ね、そういう中にですね、本当に天が下に他人というものは、本当に他人であっても他人ではないような人が、このあるという事ですね。
それがみんな、信心、またそのお取次ぎの働きによって、そういう他人、親身も及ばない人たちに巡り逢うたりしておられるというようなところから考えてです、ね、そういうところから、他人というものはないものだという思い方をいよいよ広めて、親切を受けたことが有り難い、嬉しいなら、またその親切を人にも施して行こう、親身いわゆる、『人の身が大事かわが身が大事か、人もわが身もみな人』というようなですね、あのぉ、考え方をいよいよ作って行くおかげを受けなければならないという事を感じます。
それも昨日でしたけれど、ね、ここで学生会に、えぇあの、渕上くんですかいつかここであのぉ、体験発表しましたですね何か、信徒会か何かの時に。その、学生さんの事ですけども、えぇ、まぁ、信心の何たるかという事を少~し解りだした。それでもう熱烈に、その、信心を進めて行くわけです。ところがその、伊万里の方におられますご両親がそれを大変心配されてましてね、「まぁお前、学生のくせに、子供の癖に」という訳でしょうか、もうとうとう心配のあまり、昨日は、お父さんがちょうどお月次祭を仕えようとしておるちょっと前にお見えになられました。それで、まぁちょっとお茶ども差し上げてから、お祭が済んでから、ならお話しを聞きましょうというて、お祭を済まわして頂いたんですけれども。
え~その、話を聞かして頂きながらです、あのぉ、お父さんの話からはそれを感じませんでしたけれども、それを取り巻くここの御信者さんです。第一になら、私の光昭とか、若先生とか、ちょうど秋永先生も、秋永先生とか、え~その周囲の人たちがです、そのう~、もうそれこそ親身も及ばぬ思いをね、通してお父さんを説得される。最後に秋永先生が、「あのお父さん、そういう雰囲気の中にね、信の稽古をしておるのですし、今日もお月次祭の後の親先生のお説教を聞かれて分かったでしょうけれどもです、ね、あぁいう例えば人間の真実の幸福というような根本を追求して行っておる。大人はみんな御利益がおかげだという、そして信心を分かっていこうというのですから、なかなか暇がいりますけれども、こういう若い学生さんやら青年の方たちの場合は、もうその、おかげとか御利益などではなくて、もう真実このう、いわゆる人間の真実の幸福とはと言ったようなところを焦点に追求していくから、もう私共のうらやましいぐらいに美しい信心をしております。しかもこのようにして、親身も及ばない信者友達というのが、若い、若いなりにです、出けておるのですから、なるほど、それはお父さんのところに、まぁ帰らなかったり心配をかけたりしておるところもありましょうけれども、そこんとこは、どうぞご安心下さ」ち言うて下さる。
私はそれを横から聞かして頂きよって、本当に、もうあの、それこそ親よりも兄弟よりも素晴らしい友達を、渕上君、持って幸せだなと私は思いました、ね。それがそういう風にね、御神縁という事からですね、また、お取次ぎを頂いての働きからです、生まれてくる、その縁という物をです、から見てもです、なるほど、おぉ、天が下に他人という事はなきという事をです、何かこう、実感させられます、ね。そういう、例えば考え方、思い方をです、ね、だから信心の、例えば私共のない人たちの上にもそれを広げて行くというおかげを頂かして頂く事がです、これはとりもなおさず神様のお喜びだと思うのです。子供達が仲良うしていく、それを見て喜ばない親はありませんように、天地の親神様がです、そういう働きかけをもってですね、私共が日常生活の中に望んで行くという、そういう姿勢をね、神様が喜んで下さらないはずがない、ね。
喜んで下さる、そのことがです、私共に余得になって現われてくる事も、これはもちろんの事だと思うのですよね。まぁ今日はその、私は根本的な、あぁ意味というのではなくてですね、えぇ、御神縁を頂いて、またお取次ぎを頂いての働きから生じてくるところの縁というものがね、えぇ、本当に、親身も及ばないような働きになってくる、その、そういう働きをね、神様がこよなく喜んで下さるだろうと、ね。えぇ、渡る世間に鬼はないと、ね、人を見たら泥棒と思えなんていうのは、もう極端な例が、あぁ諺がありますけれども、どこまでも私共はですね、ん~その~、人間を皆疑うてかかるといったような考え方では
なくて、どこまでも、一つ親身なものが誰の上にでも使えれる、誰にでもという訳にはいかんから、縁に任せてです、それが使うていけれるおかげを頂かなければなりません。
ね、同時にまず、自分のいわば他人ではない、ね、家庭の上に、または親類同士の上にです、ね、そういう仲をいよいよ深めて行かなければならない事はもちろんなのですけれども、ね。同時に自分の周囲の縁のある人達に、縁にいわば任せて、ね、なるほど他人とは思えないという縁をたくさん作って行くという事はです、もうそれこそ親身に私を思うて下さる、親戚以上の中に私があるようなおかげを頂けれる事だと思うですね。同時に私は、これから頂かしてもらわなきゃならんという事は、ね、この世の中には他人というものはおらんのだから、仲ようしていけよというのが、私は神様の願いであるように思うです。その、仲ようしていくという事をね、いよいよ親身に広げていくおかげを頂きたいですね、どうぞ。
末永 信太郎